易の算木やタロットカードは何のためにあるのか。
それは、右脳を刺激しその背後に連なる大宇宙の集合意識(ワンネス)にアクセスすること。いわば、その目的のための道具。
そして占う時は、右脳を活性化させ、同時に左脳を静める、意識を整えるための呼吸法が有効となる。
易の算木やタロットカードは何のためにあるのか。
それは、右脳を刺激しその背後に連なる大宇宙の集合意識(ワンネス)にアクセスすること。いわば、その目的のための道具。
そして占う時は、右脳を活性化させ、同時に左脳を静める、意識を整えるための呼吸法が有効となる。
前回、占いは内省を行うための道具である、との話をしたが、さらに占いの持つ価値について深掘りしてみよう。
内省をすることによって、どのような効能を得ることが出来るのか。
占いをすることによって、どのような効能を得ることを目指すのか。
それは、占いを通じて、世間一般的な常識や倫理観、道徳観にとらわれない、枠にとらわれない自由なイマジネーションとインスピレーションの能力を開発することである。
つまり、占いとは、あなたの脳内開発を行うためのツールであり、技術体系(メソッド)なのである。
そして、実は、占いという行為から得られる啓示や宣託に意味があるのではなく、それらは実はほとんど無意味であり、
その啓示や宣託を題材にして、答えがあるのかないのか、正解があるのかないのか、そのような不確かな命題に対して、自分なりに思案六法しながら、どうにか納得のいく答えを見つけ出していくその過程(プロセス)と、
その結果得られた答えではなく(答え自体にはほとんど価値はない)、
その答えを導くまでに培われた(開発された)インスピレーションとイマジネーションの能力(とその向上)にこそ、占いを行う真の価値があるのである。
そして、占いを通じて開発したその能力をもって、実生活で直面する問題や課題の解決に当たることこそが、占いの真の効能なのである。
ここで改めて強調することは、
あなたの実生活の問題を解決してくれるものは、占いの行為から導き出された占いの回答ではなく(占いの回答が直接解決してくれるのではなく)、
占いの行為を通じて開発された、あなた自身の自由なインスピレーションと柔軟なイマジネーションの能力であるということである。
そして、この占いを用いた能力開発の一連の手法に慣れ、次第に占いを用いなくても自由に内省と能力開発を行うことが出来るようになれば、その時はもう、あなたに占いは必要なく、占いの道具としての役割は終わるのである。
以上を平たくいえば、
占いとは、あなた自身に「考える」ことを促し、その能力を身につけさせる訓練の場であり、その「考える力」を持って人生を切り開くことを推進する道具なのである。
占いの価値というのは、自分自身のことを占って、何度も何度も自分について考えるところにある。
つまり、占いは内省の道具。
この意味が分からない人は、とりあえずどこかの占い師に占ってもらって、少しコツが分かったら、自分で占術を覚えて、自分で行うことがベスト。
そして、慣れてくると、最終的に占いという道具は不要になってくる。
理由は単純です。宗教が時間と労力を費やして信者に提供するものを、〈占い〉が一瞬で提供してしまうからです。
宗教はその信条や教えを信者に提供して、信者に信じて貰う為に、色々な装置やシステムを用意しています。
その装置の中には、教典や神や仏も含まれます。
そのような多大な労力と仕掛けをもって、ようやく信者に、進むべき道や採るべき選択を提示し、信者の信頼を勝ち得て、ようやくその宗教が目指す世界へと信者を導くわけですが、
この一連の過程を、あっという間にすっ飛ばして、
迷える者に具体的な道を示し、信頼を獲得し、実際に道を歩ませる力を持つ存在が、〈占い〉なのです。
なので、教団がまだ生まれたばかりで信者の数が少ない時は、主に信者獲得の導線として、教団は積極的に〈占い〉の力を利用しようとしますが、
ある程度その教団自体が力を持つと、今度は〈占い〉を禁止するようになるのは、そのような理由からです。
なぜなら教典の有り難い教えよりも、占い師の告げる〈占い〉の暗示を信じられてしまったら、宗教の立つ瀬が無くなってしまうからです。
今回はそれだけ〈占い〉には人を魅了する力、パワーがあるというお話でした。